今日は、宮城県・気仙沼の唐桑半島での盛りだくさんで楽しい一日でした。気仙沼は2011年3月の東北の震災時に大きな被害を被った都市のひとつです。岩手の海岸から宮城に運転をしながら、どこを見ても至る所で建設が行われているのを見つけました。陸前高田の近くでは、ほとんどの水際の地域には何もありませんでしたが、この建物だけがぽつんと建っていました。
唐桑でも、いたるところで建設が行われています。
気仙沼は牡蠣がよく知られていますが、今日はこの牡蠣について、また津波以降どれだけの工場が復興しているかについて学びました。牡蠣を育てるのには4−5年かかるため、津波が来た時に気仙沼の牡蠣が全滅してしまったのは大打撃でした。しかし漁師の方々は辛抱強く、海外からも支援があったりと、牡蠣の養殖はまた盛んになって来ました!
私は戸羽平(とばひら)牡蠣小屋で体験を始めました。新鮮な牡蠣は、塩水で10時間洗われて、その後分類されます。半分ほどが殻むきされ、残りの半分は洗われた後そのまま殻つきで日本中のレストランに出荷されます。
色んな海の生き物が牡蠣にひっついているので、私の役目はまずそれを剥がして、綺麗にすることから。楽しかった!
自分でも牡蠣の殻むきをやってみたいのですが、これがとても難しい…完璧にできるようになるには、かなり練習がいりますね。
殻むきされた牡蠣はもう一度洗われ、包装されて売られます。
それからは、2泊している民宿つなかんへと戻り、昼食のために自分でお寿司を作りました。最初につなかんに着いた時、ちょうど上に虹が!
私の先生の竜介さんは、この民宿の料理人で、素晴らしい腕前の持ち主!私とガイドの百瀬さんを辛抱強く手伝って、すべて気仙沼の素材で美味しい寿司を作りました。
リズムをつかむのに何度かやってみないといけませんでしたが、練習をして、コツがわかりました。これで家でもお寿司を作れます!
少し休憩した後、百瀬さんと戸羽平小屋へ戻り、実際に今度は牡蠣がどう育てられるかを学びます。そこに、私はフランス語の垂れ幕があることに気づきました。聞けば1970年に、フランスの牡蠣が病気にさらされていた時に、その復興のために宮城県は牡蠣を送りました。東北の震災の後、今度は同じフランスの牡蠣養殖場が、宮城の漁師さんの再興を願って物資を送ったりと、助けを差し伸べてくれたとのことです。
牡蠣の養殖には長い時間がかかります。縄のついた殻の中に種付けされ、潟で静かに守られた海でほぼ2年間かけて育てられます。そこからは若干海の荒い地域へと運ばれ、6ヶ月から1年かけられます。そうして育てられるので、宮城の牡蠣は大きく強く育ちます!
それから新鮮な牡蠣を試食。
ホタテもあります!
今日は本当に色んなことを学びました。牡蠣に加えて、何があっても来る日も来る日も働く素敵な人たちについてです。どなたもすごく熱心に私の質問に答えてくれて、自分の仕事を見せてくれるのです。牡蠣について、気仙沼についての誇りが、その言葉や行動を通して輝いていて、私は、この地域に来る機会が頂けたことを、とても幸せに感じました。
出会ったみんな、ありがとう!いつかまたぜひ訪れたいです!
次は山形へ向かいます。読んでくれてありがとう!
翻訳:We Love Japan Tour 事務局・中山慶