本日の目的地・隠岐諸島、西之島の国賀海岸よりも、隠れた・美しい場所はきっと見つかりません。隠岐は日本海にあるため、今回の旅はフェリーに乗ることから始まりました。昼下がりでしたが、日本人の乗客の方々はこぞって畳で眠り始めました。

隠岐フェリー。3つの丸は、海から現れて天皇を無事にこの島まで案内した不思議な火の玉を表しています。

パノラマの湾景が見える岬の上に建つ、国賀荘旅館に泊まります。

起きたらこんな景色ってすごい!

海産物のメニューは際立っています。日本の岩ガキが初めて商業用に養殖されたのは隠岐です。

私は朝早く起きて、丘を降りて浦郷まで行き、港の状況をチェックしました。漁船が積み荷をおろすと、その日の漁獲は本州の市場に出荷される前に波止場で分類されます。

餌を前にした鳥たちは、朝食をくすねようと必死です!

網の修繕

それからは本日のハイライト・国賀海岸のハイキングです。私に同行してくれたのは、タクシーの運転手であり地元の専門家である真田さんと、ニュージーランド人のニコラです。彼女は家と仕事を隠岐に持ち、増加する海外からの訪問客を迎える活動に頑張っています。

本日のガイドさんたち

隠岐諸島の一部の島前(どうぜん)は、古くに火山が噴火して出来たカルデラの淵に沿ってあり、世界でもごく少数の、ほとんど完璧な円を成しています。その中では、海はとても静かです。

今朝の入江で見えた素敵な自然

しかし外縁は荒ぶる海に浸食され、見事な断崖となっています。「国賀」とは隠岐弁での「ごつごつ」を意味する「くんが」に由来すると考えられています。

赤尾展望所から見えた国賀海岸

島にはほぼ平坦な土地がないため、稲を育てるのが難しく、その代わりに島人たちはユニークな牧畑(作物の輪番制)を作り上げたのです。4年のうちの1年間は、土地は牛や馬の放牧に使われ、それによって土地が肥沃になりました。今はお米が島外からやって来ますので、作物は育てません。だから家畜たちは、丘陵地を独り占めです。

広大な場所にいるので、馬はなかなか見つけられません。

日本中でも一番満ち足りた牛たちでしょう!

摩天崖から岬を歩いて降りました。木のないこういう芝生は日本でとても珍しく、どこか自分の家を思い出しました。

大胆な冒険が始まります!

カルデラの淵は狭い

隠岐には固有で独自の生態系があるため、地質学者と同じく自然好きを惹きつけます。

真田さんが子供の頃には、アキグミを集めて食べたそうです。食べてみたらとても甘かったです。

この紫の花は「達磨菊(ダルマギク)」と知られています。

見どころがとても多いため、崖の上から海岸に降りるまでゆうに2時間はかかりました。しかし底では、さらに息を呑む景色が私たちを待ち受けていました…

通天橋のアーチが、前面の原生の隠岐菊と共に見えます。

通天橋のアーチはもともと洞窟の入口が浸食したところです。もともと溶岩が溶け出して空気に触れたところが赤い層になっているので、何回噴火したのかが数えられます。

岩はその形によって「象」や「ろうそく」などの名前があります。

帰り道に、一風変わった神社を訪ねました。その神社の名前と同名の由良比女(ゆらひめ)は舟で出雲大社から戻る時にイカに噛まれました。イカが彼女が女神であることを知ると、そのイカや他のイカが謝罪のために岸に身を投げました。今日でさえ、浜にはたくさんのイカが上がります。

「イカ寄せの浜」

この神社はイカだらけ!

近所の方の家にも少し立ち寄り、お茶を頂きました。隠岐の民謡である「しげさ節」を秋月さんは唄ってくれ、一方の淀江さんは65年前の国賀海岸をまわった写真を見せてくれました!当時は道がなく、ボートでしか移動できませんでした。

私たちの気さくなホストの秋月さん(左)と淀江さん

国賀海岸には、日の入り時に戻りました。残念ながらそこからカヤッキングに行くには海が荒れすぎていましたが、岸からでも景色はとても美しかったです。

忘れられない日を締めくくる光景

明日、私は本州を横切り、逆側の海岸の別の島を旅します…

翻訳:We Love Japan Tour 事務局・中山慶