三陸海岸
浄土ヶ浜の海岸で見つけた小さな物!
昨日は浜辺を歩き、露天風呂に入り、美しい夕日を見ました。浄土ヶ浜パークホテルで素晴らしい一夜を過ごした後に迎えた今日は、とても感慨深い一日になりました。朝、私は宮古駅を出発し、津波によって非常に大きな被害を受けた町の一部を通ってホテルまで帰りました。かなり復興が進んでいるので、被害を受けた場所は以前よりも分かりにくくなっています。しかし、町の中心部から離れるに従って、空き地になっている場所を多く見かけるようになりました。空き地というのは、雑草が生い茂り、家の基礎部分だけがある所です。それを見て私はまた、とても感傷的になりました。沿岸部では今でもたくさんの空き地があるに違いないからです。
悲しいことに、宮古市の辺りには今でもたくさんの空き地があります
町を通り抜けた後、私は三陸復興国立公園の小高い山々の道にたどり着き、坂を上ったり下ったりしながら歩き続けました。切り立った岩だらけの、息をのむような荒々しい海岸線と、単なる岩としか思えないところに木が生えている小さな島々の側を通りました。そんな所に木が生えているのは、全く信じられませんでした。
奥入瀬で昨日茂木さんから貰った私の可愛いお友達と一緒に、三陸復興国立公園の山を登るところ
宮古港の景色。たくさんの復旧工事が行われています。
朝のウォーキングの後、海岸で休んでいるところ
お昼ごろ私はホテルに戻り、岩手県から来られた山田さんと、信じられないような津波の体験をした地元の今井さんに会いました。通訳は根本さんでした。私たちは昼食を食べた後、津波に遭った場所を見にボートに乗りました。海岸を探検しながら私たちは、太陽の下で素晴らしいひと時を過ごしました。しかしそれだけではありません。ボートについてくるとてもたくさんのカモメたちに、パンをあげることも出来ました。手に持った小さなパンのかけらにたくさんのカモメが群がるのは、ちょっと怖かったです!(ヒッチコック監督の例の映画、覚えていますか?)
勇敢にもカモメに餌をあげる今井さん
山田さんと根本さん
ハンターたち
島の一つに信じられないほど複雑な岩の層がありました
カモメの大群から無事に生き延びた後、私たちは浄土ヶ浜レストハウスの近くにある素敵な海岸に行きました。そこで今井さんは私たちに、津波の日の出来事を話してくれました。地震が起こった時、彼はまさしくその場所にいたのです。レストハウスから飛び出した今井さんは、海の水が引いて行くのを見ました (彼には数百メートル先まで海の底が見えたのです)。彼はお年寄りの言葉を思い出しました。津波が来る前には、いつも水が引く、という言葉を。その時、高さ5メートルから10メートルの津波が押し寄せて来るという警報が広報スピーカーから聞こえて来ました。今井さんは周りに居た人を全員集め、バスに押し込みました。そして丘を越えて、安全だと思われる山の頂上まで彼らを連れて行ったのです。
津波が来る直前、水が引いている時に撮った写真を私たちに見せる今井さん
身の回りの品を集めている人たちを助けるために今井さんが山を下りたとき、彼が見たものは波ではありませんでした。今井さん自身の表現を借りると、海全体がもの凄いスピードで彼に向かって来たのです。彼は命からがら丘に駆け上がり、津波から逃れました。その後、今井さんは自分の子どもと奥さんを探しに行き、やっとの思いで見つけることが出来ました。今井さんはさらに、私たちが立っている場所の津波前の写真と、波によって壊滅的な被害を受けた後の写真を見せてくれました。今井さんは本当に凄い人です。彼は他のボランティアの人たちと一緒に浜辺の清掃を3週間行いました。その時以来、今井さんは日本人や外国人の観光客に2011年3月に起こった忌まわしい出来事を伝えることに人生を捧げているのです。誰でも人生の役割というものを持っている、と語った彼の言葉は真をついていると思います。今井さんの役割は、津波が起こった日、その月、それ以降に何が起こったかを人々に語り継いで行くことなのです。
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